プロフィール

オーナーセラピスト:もりもと まきみ

自宅サロンを始めようと思ったきっかけ

自宅サロンを始めようと思ったきっかけ

私は子供の頃に2つ夢がありました。

1つ目は歌手になることでした。家で歌をうたってたら、家の近所をスカウトの人がたまたま通って、家の中から聞こえてくる私の歌声を聞いて「歌手になりませんか?」とスカウトされる。みたいなことを考えていました。そして、2つ目は社長になってお金持ちになる!でした。この頃の私は社長=お金持ちのイメージだったんだと思います。大人になってからは、歌手になっているわけでもなく社長になったわけでもなく、高校卒業後、企業に就職、結婚、子育てしながらパートをするという日々でした。

 

そして、子供も少し大きくなった40代半ば、鏡にうつる自分の姿に、ゾーッとしました。タブタブになったまぶた、頬に細かいちりめんジワ、ほうれい線が目立ってきた、頬のシミなど、自分が老けてきていることに気づきました。このまま何もしなければどうなるんだろう・・と思ったらゾォーっとしました。

その頃、某化粧品メーカーで働いていた友達がいつもキレイで素敵だなと憧れていました。彼女のようになりたかった私は、その某化粧品メーカーのレディになり、スキンケアを徹底的に学び、エステにも通い始めました。そのおかげで顔はお手入れをすることで、ちゃんと応えてくれるんだ!ということがわかりました。

そして52歳の時、私の友達が店長になり、某化粧品メーカーのフェイシャルサロンをオープンするのでフェイシャルエステのセラピストにならないかと勧められました。美容が大好きだった私は、エステセラピストになることに挑戦することにしました。エステの技術はたくさん覚えることがあり、52歳の私にとっては大変なことでした。しかし、エステセラピストになってお客さんがどんどんキレイになり、変わっていく姿を見て私自身も嬉しくなり、なんて素晴らしい仕事なんだと思うようになりました。

 

しかし、54歳の時に引きこもり主婦が55歳で起業というインターネットで見つけた広告に心が引き込まれました。55歳でも、起業できるんだ!と思った私は、密かに心の中で地下に長年放置でガラクタ置き場になってる部屋で何かやりたいと思っていたことを思い出しました。この部屋を使って自宅で起業をしたい!!という想いが沸々と湧いてきました。

幼い頃に社長になるという夢も蘇ってきました。

55歳になり、以前からずっと気になっていた小顔矯正の体験会に行きました。その小顔矯正は私に衝撃の感動を与えました。
私はこれまで、「人生一度きり、やりたいことをやる」をモットーにしてきました。

私に衝撃の感動を与えたこの素晴らしい小顔矯正をあの地下部屋でやりたい!と思い、自宅サロンをすることを決意し、某化粧品メーカーを退職しました。そして、小顔矯正(エンドリングフェイシャル)とドライヘッドスパ(超能クレンズ)の一生懸命勉強と練習をして資格を取得しました。

 

どん底に落ちたから・・・後は這い上がるだけ

高校生の時には当時、ハウスマヌカンと言われてた、服屋の店員になりたかったのですが、高校卒業後には服屋と全く無関係な某電気会社に就職して、工場でものづくりをしていました。その時に仕事が終わってから着付けを教えてもらえるクラブみたいなものがあり、趣味で着付けを習っていくうちに着物が大好きになりました。

25歳の時に結婚を期に7年間働いた某電気会社を退職しました。結婚後、すぐに子供をつくる予定ではなかったので、着物が大好きだった私は本格的に着付けを習い、資格を取った着物学院で生徒募集のパートをしていました。その当時は着付けの資格を取るための受講料、着物を買ったりとローンを抱えていました。ところがローンが終わる頃に子供を作ろうと考えていた5年後ではなく、2年後に子供がお腹に。。。ローンを抱えたまま長男が生まれました。ローン返済のため長男が生まれてすぐに、実家の両親にも協力してもらってフルタイムで仕事をしたりと、この頃は本当に大変でした。

そして、35歳の時に家を購入、それと同時期に二男が生まれました。その当時、子育てをしながら自宅でできる仕事を探していた私は、資格を取れば自宅で仕事が出来るという当時流行っていた資格商法にまんまと騙されて、また借金をかかえることになってしまいました。それだけでなく、車をローンで買ったり、太陽光パネルをつけたりと、私と主人はこの頃のお金の使い方がおかしかったです。当然、毎月支払いが大変でお金がなくて、主人と喧嘩をするわ、家庭内がギスギスして、この時期が一番どん底でした。お金がギリギリの生活が続きましたが、40代になり主人が海外転勤をしたりとより仕事を頑張ってくれたおかげで家庭も安定しました。